第15回受賞者発表

~11月14日は「世界糖尿病デー」~
インスリン治療を50年以上継続している糖尿病患者さんを顕彰
第15回「リリー インスリン50年賞」 15名の受賞者を発表

日本イーライリリー株式会社(本社:兵庫県神戸市、代表取締役社長:パトリック・ジョンソン、以下、日本イーライリリー)は、インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病患者さんに敬意を表し顕彰する、第15回「リリー インスリン50年賞」の授賞式を11月7日(火)に開催しました。
第15回となる本年は、合計15名の方が受賞されました。そのうち11名の方が授賞式に参加され、50年以上にわたるインスリン治療の道のりを振り返りながら、家族や主治医など周囲の方々への感謝や、他の糖尿病患者さんへの励ましのメッセージなどを力強くお話されました。受賞者の皆様には、ご本人のお名前を刻印した特製メダル(銀製)と、世界糖尿病デーのシンボルカラーである青いバラのコサージュが贈られました。
授賞式にご臨席頂いた、日本糖尿病協会 理事長で関西電力病院 総長の清野裕先生は、受賞者の方々に祝辞を述べられるとともに、「お元気に50年間インスリン治療を続けてこられたことは大変貴重なことで敬服いたします。皆様の貴重な体験を、ぜひとも後へ続く若い患者さんに伝えていって欲しいというのが私の願いです。受賞者の皆様とご家族の方、主治医の先生方とが三人四脚で本日を迎えられたことに改めてお喜び申し上げます。」と述べられました。日本糖尿病学会理事で東京慈恵会医科大学 主任教授の宇都宮一典先生は、「50年前は糖尿病の治療選択肢は非常に乏しくご苦労も多かったと思いますが、本日皆様のお顔を拝見して、感謝と喜びの表情にあふれていることに非常に感激いたしました。皆様の存在は他の糖尿病患者さんのみならず、私たち医療従事者にとっても大きな心の支えです。」と述べられました。
日本イーライリリーは今後も、画期的な糖尿病治療薬の研究、開発および情報提供活動に尽力していくとともに、「リリー インスリン50年賞」をはじめとしたサポート活動を通じて、糖尿病と日々闘う患者さんに寄り添い、糖尿病治療におけるベストパートナーを目指してまいります。

第15回リリー インスリン50年賞 表彰式

※写真に写っているのは、報道関係者様への情報公開をご了承頂いた受賞者の皆さんになります。

リリーインスリン50年賞とは

インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病患者さんの長年のご努力を称えることを目的に、1974年に米国で始まりました。これまでに米国を中心に世界で14,000名以上の患者さんに授与されています。日本では2003年に表彰を開始し、第15回を迎えた本年度を含めてこれまでに119名の患者さんが同賞を受賞されています。
表彰式は毎年、世界糖尿病デー(11月14日)の前に開催しており、今年は受賞者の皆様に、ご本人のお名前を刻印した特製メダル(銀製)と、世界糖尿病デーのシンボルカラーである青いバラのコサージュを贈呈しました。
日本イーライリリーは、「リリー インスリン50年賞」を受賞された患者さんが、インスリン治療を継続する全ての糖尿病患者さんに勇気と希望を与え、治療に前向きに取り組む上での目標となることを願っています。

リリー インスリン50年賞 表彰式
リリー インスリン50年賞 表彰式

第15回「リリーインスリン50年賞」受賞者プロフィール

※50音順になっています。
※小野様、小林様、金様、髙田様、乕谷様、廣前様、藤井様、本多様、山本様、渡部様、渡邉様には授賞式にご参加いただきました。
※報道関係者様への情報公開をご了承いただいた患者さんのみご紹介しています。
※受賞者プロフィールの内容は、患者さん個人としての見解です。

奥野 直子 様

奥野 直子 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1962年生まれ / 東京都在住

発症したのは5歳。幼かったので病気の深刻さを理解できず、母に隠れてお菓子を食べたりする子でした。血糖値がコントロールできずケトアシドーシスで倒れるなど、2年ごとくらいのペースで入退院を繰り返していました。そんな生活が一変したのは16歳の時、薬剤師さんに教えてもらい参加した、 1型糖尿病の子どもが集まるサマーキャンプがきっかけでした。食事療法の大切さが身にしみてわかり、同じ病気を抱えている仲間と悩みや憤りを共有できたことで、初めて病気を真正面から受け入れられるようになりました。
それでも、発症した幼い頃に「どうせぜいたく病でしょ?」と言われた経験が忘れられず、就職後もしばらくは病気を隠していました。しかし長く勤めていればそういうわけにもいかず、ある日、会議室で倒れてしまいました。それからは低血糖気味と気付けば上司が氷砂糖をくれたり、隣の同僚が「奥野さん、低血糖になってくると動きが遅くなってくるんですよね」と気遣ってくれたりするようになり、私も徐々に病気のことをオープンに話すようになりました。今は周囲の優しさに支えられ、前よりもずっと生活し易くなってとても感謝しています。

小野 愛美 様

小野 愛美 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1952年生まれ / 滋賀県在住

中学2年の秋に発症。自分では風邪をひいたような症状としか思っていなかったのですが、夜中に何度も水を飲みに起きる私に違和感を持った母がすぐに病院へ連れて行ってくれ診断されました。入院中、おたふく風邪で高熱を出し、食欲がなくなって「アイスクリームなら」と看護師さんに言ったが「駄目ですよ」と返されました。見かねた母がこっそり氷に蜂蜜をかけて持ってきてくれて、カーテンの陰に隠れて泣きながら食べた味が今も忘れられません。
そんな母の愛情に応えたくて、退院後から早速自分でインスリン注射を開始。毎回自分で注射器と針を煮沸消毒し、必死に自己管理しました。受け入れるには長い間葛藤がありましたが、周囲に迷惑をかけないようにとにかく必死でした。当時はまだ1型糖尿病に対する周囲の理解も少なかったので、なかなか病気のことは話せず気を遣って遠慮がちに孤独に生きていたように思います。
そんな自分が大きく変わるきっかけになったのは親友の死でした。子どもを育てながら栄養士として多くの患者さんを指導し、いつも明るく私を支えてくれていた友人が癌になり42歳の若さで急逝しました。この出来事で「私は周囲の人々や医療に支えられ何度も命拾いをしてきたのに、その恩に報いてきたのだろうか?」と考えるようになり、自分の気持ちを押し殺して生きるのではなく、自分らしく生きる一歩を踏み出すきっかけになりました。それでもまだ臆病だった私を目覚めさせてくれたのは、今の夫の「何でもやってみなければわからない、ダメだったら止めたらいい」という言葉でした。その言葉に励まされ、同じ病気で苦しんでいる仲間の役に立ちたいとの思いから、夫と共著で今年手記を出版しました。悩みや苦しみを克服するには同じ境遇の仲間と交流し共感してもらうことが大切です。今年11月には福井の1型糖尿病の会で自分の体験をお話する予定です。

木村 卓司 様

木村 卓司 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1957年生まれ / 東京都在住

10歳の時、歯が痛くなり体もだるくなって、夜中に水をたくさん飲みたくなったので病院へ駆け込み、後日尿検査で糖尿病と診断されました。50年前は1型糖尿病のことを知る人は少なく、小学校の先生も対応できなくて、修学旅行に参加できなかったのは残念でした。中学、高校では入学時に先生に病気のことを伝えておき、一方自分でもインスリン注射や低血糖時の対処ができるようになっていたので、どういう時にどういった対応をして欲しいかを事前に先生に伝えておくことで、修学旅行に行くことができました。これは自分にとって嬉しい出来事でした。
大学1年生の時に父が倒れたため、大学を辞めて実家に入り、祖父の代から続く蕎麦屋を継ぎました。それからは、自宅が仕事場になったので血糖値管理はとてもしやすくなりました。昔は自分でノートに朝晩食べたものを付けてエネルギーの単位数を計算していたのですが、結婚してからは妻が食事の管理をしてくれています。糖分や塩分は控えめにして、野菜はもちろん毎日食べています。
母が亡くなった頃、出前中に低血糖を起こしもうろうとすることが多くなり、50歳を迎えて店を閉じることにしました。身体は元気ですが、出不精が重なり一時は歩行困難になりましたが、歩くことが治療と聞き、今は毎日リハビリに励んでいます。また、中学からずっとギターをやっていて、実家に戻ってからはカラオケが趣味になりました。今も休みの日は妻と友人と一緒に2か月に1回ほどカラオケを楽しんでいます。

小林 孝 様

小林 孝 様
インスリン治療歴53年 / 1型糖尿病 / 1935年生まれ / 山梨県在住

29歳、結婚し子どもが生まれた年に発症しました。ひどく喉が渇くので寝る時は大きいやかんに水をいっぱい入れて枕元へ置いておくのですが、一晩で全て飲んでしまっていました。仕事で海外へ行くことも多かった当時、インスリン製剤は冷蔵保存だったためホテルに冷蔵庫が無いような国や、あまり暑い国には行けませんでした。一方アメリカに行った際には、インスリン製剤をたくさん持参していたので税関で止められないかと構えたのですが、税関の人が「私も糖尿病だ」と言ってすぐに通してくれたなんてこともありました。発症初期の頃は毎回針を煮沸消毒してガラスの注射器で注射するのが面倒で、飲み薬に代えてもらったこともありましたが、血糖コントロールは悪化し、すぐにインスリン製剤に戻してもらいました。1型糖尿病の私はインスリン製剤のおかげで生きることができているのだと痛感しました。
働き盛りで接待などもありましたので食事の種類はあまり制限せずに食べていましたが、量はなるべく半分残すようにしていました。今でこそ糖尿病についての本はたくさん売っていますが当時は専門書くらいしか無い時代だったので、一生懸命調べては本を買い集めて読んだり、今のような血糖測定器も無かったので大きくて重い尿糖を測る機械を買って使ってみたりなど、病院へ通う以外にも試行錯誤してきました。引退した今は自分で食事を作りながら、血糖コントロールしています。
この病気になっていなかったら違う人生があったかもしれないと考えることもありますが、生きていくのに自由度が低くなったと思ったことは殆どありませんでした。今は、趣味の茶の湯や煎茶に興じており、お寺でお茶会を開いたり、月に一度は東京まで煎茶のお稽古に行ったりして楽しく過ごしています。お茶を通して情報交換や人的ネットワークを広げていく良い機会になっています。

金 久仁夫 様

金 久仁夫 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1952年生まれ / 秋田県在住

発症したのは中学3年に入って間もない14歳の頃、異常にトイレが近くなって病院に行ったら即入院となりました。インスリン注射はこれからずっと付き合っていくものなので「自分でやらなきゃいけないよ」と先生に言われ、入院して1週間もしたら自分で打つようになりました。毎日使うものだからと母が買い揃えてくれた当時のガラスの注射器と煮沸消毒して使った長い針は、愛着があって今でも大切に保管しています。当時はまだ若年の1型糖尿病に対する周囲の理解も少なく、検査で学校の行事に参加できず「何で来ないんだ」と白い目で見られたり、旅行先で煮沸して注射していたら旅館の仲居さんに警察へ電話されたりしたこともありましたが、私はもともと明るい性格で、病気のことはなるべくオープンに話すようにしたことで、周囲の人たちにたくさんサポートしてもらってきました。職場の同僚は、自分より先に低血糖に気付いて「大丈夫?」と声をかけてくれたりするんです。
そして誰より私をずっと心配してくれたのは母です。私が糖尿病と診断された時、母は泣いていました。今年1月に亡くなったのですが、10年前に脳梗塞を患って私が糖尿病だとわからなくなってからも、私が低血糖気味になると「久仁夫、砂糖、久仁夫、砂糖」と言うんです。今回の授賞式が終わったら、受賞を誰より楽しみにしていた母の仏壇に、一番に報告したいと思っています。私の目標は、そんな1型糖尿病の子を持つ親御さんに「心配しなくても大丈夫。私のように大人になってもちゃんとやっていけるよ」と伝えてゆき、安心してもらうことです。

髙田 薫 様

髙田 薫 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1959年生まれ / 東京都在住

8歳で発症しましたが、幼かったのもあり、当時はまだ血糖を月に1回も測らなかったのもあって、低血糖の症状がわかるようになるまでには随分時間がかかりました。両親は私にあまり厳しい食事制限をしませんでしたが、「これからかおちゃんはお肉を少しにして野菜をいっぱい食べなきゃいけないけど、家族みんなでそうすれば特別でもなんでもないから」と言って、野菜を多く取り入れた低カロリーのメニューを皆で食べるようになりました。父はドライブや旅行が好きで、色々な所に連れて行ってくれました。そんな風にのんきに暮らしていましたが、実際には体力が持たず学校を休むこともありました。今となっては良く生きてこられたなと思います。きちんと体調から低血糖状態を予測できるようになったのは二十歳を超えてからです。血糖測定器で血糖値を測るようになってからは血糖値コントロールがうまくできるようになりました。
両親は昔バンドマンで母が家でピアノを弾いていた影響もあり、仕事はピアノの調律師を経て、好きだった車の組立工や配送など色々経験してきました。3年ほど前からは無自覚の低血糖が起こるようになり、その頃から狭心症や心筋梗塞、脳下垂体腫瘍などの余病に悩まされました。いつ倒れるか分からない状態になり姉には随分迷惑をかけましたが、昨年家を建て替えた頃から状況が好転し、血糖値も安定して良好な状態が続いています。

乕谷 昌子 様

乕谷 昌子 様
インスリン治療歴51年 / 1型糖尿病 / 1933年生まれ / 東京都在住

発症した時は31歳で、既に結婚し6歳と4歳の息子がいました。当時、糖尿病の本を数冊買って勉強しましたが、多くは短命であると書かれてあったので、息子たちのために長く生きなければと必死に食事や薬の勉強をしました。当時はブタやウシの膵臓から作ったインスリンだったためアレルギーを起こしてしまい、痛かったり痒かったりで苦労しましたが、ヒトインスリンになってからはとても楽になりました。また針や血糖測定器、注射器など医療技術が進歩し、インスリン製剤も改良されて厳密に血糖値を管理しやすくなり助かっています。測定した血糖値に合わせてインスリン注射を打ち、毎回カロリー計算をして、ご飯は必ず100g量って食事をしてきました。その繰り返しで今まで健康を維持できたことに感謝しています。
趣味ではお茶や詩吟を習っており、劇場に一緒に通うお友達もいます。劇場ではお友達が、私の腕にスカーフをかけ「さあ、ここでインスリンを注射しちゃいなさい」と協力してくれたりします。
今年に入って段差につまずき腰を痛め入院しましたが、その病院に糖尿病を学ぶ実習生が来ており、経験談を語るなど、新しい出会いもありました。自分の経験談が少しでもお役に立てたようで嬉しかったです。80歳の時には、優良糖尿病患者として表彰していただいたこともありました。今は本授賞式に向けてリハビリに励んでいます。

廣前 道子 様

廣前 道子 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1943年生まれ / 東京都在住

24歳で発症しました。発症時は病気のことをわりと淡々と受け止めたように記憶しています。勤めていた会社には病気のことを報告した上で、今まで通り勤務しました。当時は1型糖尿病といっても理解できる人は周囲におらず、食事前に注射をしなければならないため外食は断ったりしていたので、寂しいと思ったこともあります。28歳で結婚しましたがその後離婚し、その当時が一番辛かった時期です。ただ深く考えてもどうにもならない病気なので、サバサバと明るく生きたいと思いました。それからは自分のわかる範囲で血糖値管理をして、人前で倒れることもなく、合併症もなく暮らせています。姉をはじめ近所の人たちと良い距離で和気あいあいと付き合えることが励みです。患者会で多くの先生方から糖尿病治療のことを学び、仲間とも情報交換ができました。病気になっていなければこれほどきちんと健康管理ができていなかったと思います。散歩が日課で松本盆地の美しい緑や季節の花々、町並みの変化していく様を見ているだけで楽しめ、穏やかに過ごせることに感謝しています。

藤井 安重 様

藤井 安重 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1948年生まれ / 鳥取県在住

看護師を目指して大阪の看護学校に通っていた19歳の時診断されました。1週間に4キロも痩せてしまって、看護学校を退学になって帰省し、入院生活となった頃は絶望のどん底に落とされた気持ちでした。退院後は病院の検査室で働くようになり、そんな時に出会ったのが華道です。糖尿病というと色眼鏡で見られることが多かった当時、お花の先生の一心に黙々と花を生ける凛とした姿を見て、「自分の不摂生ではなくたまたま糖尿病になってしまっただけなのだから、周囲にどう見られようと私は私」と思えるようになり、感動して門下に入りました。それ以来今までずっと続けてきましたので、華道歴もインスリン治療歴とほぼ一緒、50年です。
治療では、以前は食事も決められた通りの単位数分のエネルギー量を毎回はかって食べ、決められた単位数分のインスリン製剤を毎回注射していたのですが、毎日3食それだとストレスがたまってしまって。そんな時現在の主治医の先生に出会いました。もちろん指示された治療法を守ることが基本ですが、長い付き合いの病気です。季節によって体調も変化するし、立場上どうしても外食が外せない時もある。「そんな時は体調や食事に合わせてインスリン製剤の量を少しだけ調整してみることも、藤井さんならできると思うから。」と言われ、すごく気持ちが楽になりました。今は、喜びや悲しみを共有できる主人との生活のありがたさをしみじみと味わいつつ、娘が住むハンガリーに旅行したり、若い人たちにお花を教えたり、ご近所の人たちと老人クラブをつくったりして「和」の精神を大切にしながら意欲的に暮らしています。

本多 広太郎 様

本多 広太郎 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1965年生まれ / 富山県在住

2歳で発症しました。幼かったので発症した当初は家族がインスリン注射をしてくれていましたが、小学6年生の頃からは自分で打つようになりました。昔から病気のことはわりとオープンにしていたので、友達も理解してくれていました。私は引っ込み思案で人の輪の中に入ることが苦手なのですが、サマーキャンプだけは高校を卒業するまで毎年欠かさず参加していました。金沢のサマーキャンプで白山に登った時の、満天の星空の美しさは今でも印象に残っています。周囲に糖尿病の友人はおらず、それまで他の病院の患者さんと知り合うこともなかったので、キャンプで糖尿病の仲間と会えるのはいつも楽しみでした。
小さい頃から車が好きで、19歳で免許をとり、姉が住む東京へ家族で旅行したのがいい思い出です。今も趣味はドライブで、自宅のある富山県から石川県の能登や福井県の東尋坊まで行ったりもしました。就職も車関係の会社に入社し、今もトラックの組み立てに携わっていますが、入社当時から社長は「病気のことは気にするな!」と言って下さり、職場の人達もいたわってくれました。
今年から腎臓が悪くなり人工透析が始まりました。水分やカリウムの摂取制限があり、母が献立を考えて料理してくれています。明るい母の支えなしではここまでやってこられなかったと思うと、感謝に堪えません。

山本 千恵子 様

山本 千恵子 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1941年生まれ / 愛媛県在住

結婚後、第2子の長男を妊娠していた時に妊娠糖尿病になり、産後間もなく1型糖尿病を発症しました。先生に告知された時はとてもショックでしたが、夫から「生きて行くために」と言われ、覚悟ができました。退院後はインスリン注射のため、2人の幼い子を置いて毎朝病院へ通ったのを覚えています。10年ほどは家事、育児と糖尿病の管理とで忙しかったのですが、松山の赤十字病院に転院してからは何度か教育入院し、色々と教えていただいて、インスリンと食事と運動のバランスをみて血糖値を管理するようになりました。子どもが手を離れてからは、ゴルフ好きの夫について毎日のように自転車でゴルフ練習場へ通ったり、友人たちと一緒にコースをラウンドしたりしました。夫は13年前、ゴルフ場で2ホール目を回ったところで倒れてそのまま亡くなってしまったのですが、その時も「甘いもん持っとる?」と最後まで私の病気を気にかけてくれていました。
ここ数年は股関節を痛めたり肺がんやリウマチを立て続けに発症したのですが、手術するにもまずは血糖コントロールが重要なので、主治医の先生にはとてもお世話になりました。主人が亡くなってから気を落としていた私でしたが、入院中に先生が言ってくださった「口から食べんかったら絶対に元気にならん」という言葉や、手術後すっかり運動しなくなった私に「呼吸がしんどい、足が痛いといって歩かないと本当に歩けなくなるよ」と声をかけてくれた友達の言葉をきっかけに、頑張ろうという気力を取り戻せました。この賞を知った2年ほど前からは、ちょっとでも元気になって、歩くことも練習していかないと、と今回の受賞を目標に頑張ってきました。

渡部 藤枝 様

渡部 藤枝 様
インスリン治療歴58年 / 1型糖尿病 / 1941年生まれ / 愛媛県在住

18歳で発症しました。母は元看護師で、私が発症した時それほど驚かなかったことを覚えています。2カ月入院した後は、家で母が食事管理とインスリン注射で血糖値をコントロールしてくれていたのですが、二十歳の頃友人が勤めている会社に就職し一人暮らしを始めてから、不摂生がたたり高血糖で倒れるなど入退院を繰り返しました。主治医の先生に合併症の怖さを教わり、「でも、ちゃんと血糖値コントロールしていれば健康な人と変わらない生活をしていけるんだよ」と言われ、「これはいい加減な気持ちでいたら大変なことになる」と思いました。
その後結婚して2度妊娠し、どちらも臨月まで育ちましたが無事に出産には至らず、当時は病気が関係しているかもしれないと言われて、子供は諦めなければならないと途方に暮れ、うつ病になりました。夫にも病気に引け目を感じて何も言えなくなり、しばらくして離婚しました。そんな矢先に、市役所から父子家庭の男性を紹介されたのです。気乗りはしなかったのですが、当時4歳だったその男性の子どもがとても私に懐いてくれて。初対面なのに色々と話してくれたり、別れた後も電話番号を聞いてお父さんの寝ている間に私に電話をかけてきたりして、離れられない気持ちになり、結局再婚しました。その後は夫も理解があり息子も心底優しい子で、私の心を和らげてくれました。亡くした子どもの導きかと思ったほどです。その息子も今は結婚し2人の元気な子どもに恵まれています。7年前に夫が亡くなった日、息子に「おやじはもう死んでしもたけれども、今までと何にも変わることはないから心配せんときや」と言われ、涙があふれ出てきて止まりませんでした。現在は幼馴染みとの年1回の温泉旅行を楽しむなど元気に暮しています。

渡邉 龍一 様

渡邉 龍一 様
インスリン治療歴50年 / 1型糖尿病 / 1959年生まれ / 新潟県在住

発症は8歳だったので最初はインスリン製剤を母に打ってもらっていました。自分で注射ができるようになったのは高校2年生の夏。みんなとツーリングへ行きたくて自分で打つようになり、2~3泊したり、青森あたりまで遊びに行ったりできるようになりました。しかし血糖コントロールは簡単ではなく、23歳頃、合併症が発症し眼底出血を起こしました。
転機となったのは25歳の頃、傷が治りにくいと感じたことをきっかけに、今のままでは良くないと思うようになり、自分から「今度こそ真面目にやるので入院させてください」と先生に頼んで入院し、インスリンポンプ(CSII)を使い始めました。現在の主治医である津田先生と出会ったのもこの頃でした。なかなか血糖コントロールが上手くいかなかった私に、インスリン製剤の決まった量ありきで食事の量を厳密に調整するというのは「本末転倒だよ」と言ったのです。どうしても食事内容のコントロールが難しい時は、食事に合わせて少しインスリン製剤の量を調整してもいいんだ、「それなら難しくない」とすごく気持ちが楽になったのを覚えています。今は、自己管理が結構できていると自信を持って言えます。
自分が糖尿病だったので自然と医療関係の仕事に興味がわき、21歳で臨床検査技師の資格を取得しました。以前糖尿病療養指導士の資格を取得したこともあり、今は糖尿病患者さんの教育入院を担当しています。その際には、患者さんがストレスで潰れることなくきちんと血糖コントロールしていけるように、自分が津田先生から教わったことを伝授しています。余暇は車にクレー射撃にと、趣味を楽しんできました。他の糖尿病患者さんにも、病気だからといって諦めず、大いに自分らしい人生を楽しんでもらいたいです。

世界糖尿病デーとは

拡大を続ける糖尿病の脅威を踏まえ、2006年12月20日、国連は国連総会で、国際糖尿病連合(IDF)が要請してきた「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」を加盟192カ国の全会一致で可決しました。同時に、従来、IDFならびに世界保健機関(WHO)が定めていた11月14日を「世界糖尿病デー」として指定しました。IDFは決議に先駆け、”Unite for Diabetes”(糖尿病との闘いのため団結せよ)というキャッチフレーズと、国連や空を表す「ブルー」と、団結を表す「輪」を使用したシンボルマークを採用。全世界での糖尿病抑制に向けたキャンペーンを推進しています。

(出典:World Diabetes Day Committee in Japan www.wddj.jp/01_howto.htm)

イーライリリー・アンド・カンパニーの糖尿病事業について

イーライリリー・アンド・カンパニーは1923年に世界で初めてインスリン製剤を開発して以来、糖尿病ケアの分野において常に世界をリードしてきました。現在も、糖尿病をもつ人々やケアを行う人々の様々なニーズに応えることで、この伝統を築いています。研究開発や事業提携、拡大し続ける幅広い医薬品ポートフォリオ、そして、医薬品からサポートプログラムをはじめとする実質的なソリューションを提供し続けることを通じて、世界中の糖尿病をもつ人々の生活の改善に努めます。詳細はウェブサイトをご覧ください。

www.lillydiabetes.com

日本イーライリリー株式会社について

日本イーライリリー株式会社は、米国イーライリリー・アンド・カンパニーの子会社で、本年設立40周年を迎えます。人々がより長く、より健康で、充実した生活を実現できるよう革新的な医薬品の開発・製造・輸入・販売を通じて日本の医療に貢献しています。統合失調症、うつ、双極性障害、注意欠如・多動症(AD/HD)、がん(非小細胞肺がん、膵がん、胆道がん、悪性胸膜中皮腫、尿路上皮がん、乳がん、卵巣がん、悪性リンパ腫、胃がん)、糖尿病、成長障害、骨粗鬆症などの治療薬を提供しています。また、アルツハイマー型認知症、関節リウマチ、乾癬、高コレステロール血症などの診断薬・治療薬の開発を行っています。詳細はウェブサイトをご覧ください。

www.lilly.co.jp